下描きと、込めた1/17の思い。
下描きと、込めた1/17の思い。
こんばんは、環です。
今日は1/17、様々なことを思いました。
30年前、私は高校3年生でした。
愛媛におり、大阪芸術大学への進学が決まってました。
同級生たちはセンター試験を終えたばかり、
二次試験に向け気持ちを切り替え始めた頃のことです。
私は「卒業式までには戻るから」と、
半ば学校の反対を押し切り(当時の担任が「後は任せとけ」と背中を押してくれました)、
神戸に向かいました。
フェリーで大阪へ出て、
電車で行けるところまで行き、
不通の区間は歩きました。
神戸にいる同級生のお兄さんが原付で合流してくれ、
「荷物運ぶよ」と、
ボランティアの拠点となっていた東灘区まで一緒に行ってくれました。
東灘区の学校、中央区のお寺、
私が活動した拠点です。
物資の配給、被災した子供達と遊ぶ、住宅の被害状況を確認、障害のある人の生活介助、体力仕事・・・
そんな中、被災した人たちから、
「うちでお風呂入って行き」と、声をかけてもらったり、
「電車が通ったら梅田まで御座候を一緒に買いに行こう(美味しいから食べて欲しいだ)」と、さりげなくお礼という気遣いをくださったり、
残酷な状況の中でも、ご自身がとてつもなく大変な時でも、相手を気遣う神戸の人たちの優しさと強さを、毎年伝えたくなります。
ボランティアは取り急ぎ期間限定です。
だから頑張れるんだと思います。
倒壊した家屋の中からは、毎朝同じ時間に目覚まし時計が鳴るのですが、
被災地は終わりなき闘いを強いられ、
どれだけの感情を持って、これまでも、これからも、過ごすのか、計り知れません。
東日本大震災の時は千葉におり、家族を守ることで必死でした。
また、昨年の能登半島地震では、夫の故郷が一変し、高齢の両親の思いに触れました。
私にできることは、その時々の状況で変化しますが、
どうあれできることは「伝える」ことだと思い、
今日、娘に、神戸のボランティアとして私がどのように動いたかを、伝えました。
記録として、
当時、毎日、日記をつけておけばよかったと思いました。
しかし、伝えながら驚きましたが、目に焼きついた当時の光景は、今でも鮮明でした。
現在、9月開催の個展のための制作をしています。
「表現すること」は、私にできることの一つです。
生きているからこそ、です。